2017年1月28日土曜日

車にお金をかけてみて良かった事3点、微妙な点3点。

3年弱位乗っていたポルシェを売却した。 売却する時には少しおセンチな気分になった。ある意味彼女と別れる時より名残惜しいと言う感覚である。ああキミは嬉しいときもつらいときも常に一緒に居てくれたね...しみじみ、と言う感じとでも言おうか。それと同時に、資本主義における、あるいはツイッター居酒屋・TLにおける話題としては頻出問題の、『車にお金をかける事の是非』について、良い面・悪い面双方で諸々学ぶ面はあった。ここで少しまとめておこうと思う。


○良い面

1.お金を稼ぐ事の楽しさを分かりやすい形で実感出来た。

親にも節約して貯金する事を子供の頃から躾けられ、無駄遣いはいけないと言う価値観で育って来た事もあった。元々自身は質素倹約を旨とした生活をしていて、経済合理性の全くない大人の遊びにお金を使うと言う感覚がなかった。

しかし一方で、質素倹約ばかりして銀行口座の数字だけ眺めていても窮屈だし、人生一回なのに老後のためにお金を貯める生活ばかりしていても仕方ないなとも感じるようにもなっていた。

また、成功者の中には、大金持ちなのに質素倹約を旨として一切贅沢しない人も居るし、一方で『高品質なもの、ラグジュアリなものに触れていくなかで自身のキャパシティも広がり、富裕層の気持ちも分かり共通の話題も出来るし、豊かなオーラ的なものを身にまとう事も出来て、より高みに行けるんだよ』と高級車や機械式時計等を身につけてみる事を勧める人もいる。この辺が実際どうなのか自身で試してみない事にはよく分からないので実際に試してみたいと言う気持ちもあった。つまり資本主義の探究を行うのが仕事の自身としては、資本主義につきものな『ラグジュアリな車を買ってみるとは、どういう事か』と言うお題を実際に体感して理解してみたいと言う気分もあった。

その他、幼稚園の時にじどうしゃずかんを見るのが好きで、赤いポルシェと言うのは単純に一回乗ってみたいものでもあった。

そうした中で、銀行口座の数字を分かり易いモノの形に変換して幼稚園の頃の夢をかなえてやることで、『なるほど、頑張って働いてお金を稼ぐ事で、子供の頃の夢のいくばくかを実現することが出来るのか』と言った、お金に対する前向きな・肯定的な実感を持つ事は出来たようには思う。日本の一般的な教育環境ではどうしても「お金は汚いもの」「常に節約しなければならないもの」と言ったイメージの刷り込みはなされるようには思うし、自身もそのご他聞に漏れなかった面はあった。そうした刷り込みから脱出して、お金を努力してまっとうに稼ぐ事、人生を楽しむためにお金を使う事に対して肯定的な感覚を持つ事が出来たのはちょっとしたブレークスルーであったし、自身の視野・キャパシティを幾ばくか拡大してくれたようには思う。

そうした意味において、成功者のうちの『高品質なもの、ラグジュアリなものを試してみる事を推奨する組』のアドバイスには一定の妥当性はあるのかなと言うのは実感出来た。(一方で、成功者のうちの『金持ちになっても質素倹約していた方が良い』を旨とする組の妥当性もまた別の意味である事にも気づいた。これは後述する)

こうした理解を実感として持つ事が出来たのは、自身にとっては悪くない学びであった。


2.車が好きな人の気持ちが分かるようになった。

当初、自身は(幼稚園の頃の素朴な夢は別として)車全体についてはさほどの興味はなかったし、自動車なんてタイヤが4つ付いていて走れば何でも同じだ位にしか思っていなかった。そんなに車に凝って何が良いのよと。

しかし、実際にポルシェを買って乗ってみると、それはやはり、実家やレンタカーで運転した車とはもう、全然モノが違う事は一目瞭然であった。一言で言えば、良い車と言うのは 「ただの移動の手段」ではなく 「ただ乗っているだけで楽しい」のである。

鍵を回す際や加速する際の抑制のきいたしかし爽快なエンジン音(ポルシェはエンジン音への拘りが凄く、良いエンジン音を出すために排気管の構造等も工夫が為されている)、もったり感が全く無くてアクセルを踏むだけ加速してくれるしブレーキを踏めば高性能のディスクブレーキでピタッと止まってくれる「自分の手足のような」感覚、シートの下から微かに伝わってくるエンジンの振動、音楽やラジオを聴くに気持ちよい高品質なスピーカー・音響設計(エンジンと共に本当に音に拘っているのが素人にもよく分かった)。それら一つ一つが乗車体験のラグジュアリ感を演出しており、ただ乗っているだけで『ちょっぴり贅沢な、良い気分』にしてくれるのである。これは乗ってみて初めて分かる話である。

また、元々がインドア派のオタクであった自身でも、車を持つことで週末にちょっと出かけたり、車がないと行きづらいような郊外のカフェや公園、海べり等を開拓したり出来るようになったと言うのは非常に良い経験だった。電車やタクシーしか使っていなかった頃は、シンガポールの地理にしても「点と点、せいぜい線と線」でしか把握出来ていなかったものが、面で把握出来るようになり、土地勘もかなり付いたし街の楽しみ方の多様化にかなり貢献してくれた。

何より、車を買う事とは「車と共に作る思い出」を買う事なんだなとも実感出来た。 山口百恵の歌そのままに緑の中を真っ赤なポルシェのコントラストで走り抜けて行った週末のカフェのひと時は素晴らしかった。車で頻繁にセントーサ島のホテルのラウンジに行き海を眺めながらプログラミングの勉強をコーヒー一杯で何時間もしていたひと時は今も良い思い出である。 毎日の通勤のひと時すら、儲かっている時は祝うように厳しい時はなだめるように走ってくれる感じがして「ちょっと良い時間」を演出してくれたし、彼女がいる時はデートに華を添えてくれるしひとりの時は自分に寄り添うように走ってくれた。修理/点検でシンガポール郊外の広々とした整備工場を訪問した際には、微かにオイルの匂いがする中で夕陽に照らされた幾多のポルシェ達、新しいものから数十年前のクラシックカーのポルシェ、エンジンだけ換装中のものまでが多数佇んでおり、まるで自動車博物館にでも来たかのような趣であり、こうした場を知る機会があったのは素晴らしい僥倖だな等と思ったものだ。

三十路のシンガポールでのこうした思い出が、売却する時には 走馬灯のように巡り、少しおセンチな気分になった。レンタカーやカーシェア、Uberではここまで日常に密着した形で同じ車を長期間利用する事には実際ならないだろうから、車にこうした『思い出と紐づいた愛着』までは湧かないだろうと思う。これは車を所有する事ならではの価値であろうかと思われる。自動車メーカーは性能とかよりももっとこう言う「Pricelessな思い出バリュー」を売り込んだ方が良いと思った程である。

その他、良い車を買う事で、隣に乗る人も喜んでくれる、と言うのもあった。女性も最初に見た時には『赤のスポーツカー』と言うベタ感に抵抗感を覚える人も幾らかは居たが実際には乗れば100%好評だったし、友人の子供を隣に乗せて走ったら喜んでくれたと言うのはこちらも嬉しかった。なるほど、良い車に乗ると言うのは自分が楽しいだけでなく、人を喜ばせる事も出来るのかと。

そんな訳で、昔は車が好きな人の熱弁を聞いていても何がなんだかさっぱり、と言う感じであったのだが、実際に自分が体験してみる事で、車好きの人の気持ちにも共感する事が出来るようになったのである。


3.最後の「モノを手放す」と言った所も含めて学びになった。

遠足はおうちに帰るまでが遠足、車と言うのは名残惜しさと共に手放す所まで含めて車である。同業者で、所得はピークアウトして、最早幸運な時期も終わり良い場所にもいないのに、見栄や世間体で生活水準を下げられないでアップアップしている人、と言うのは見るに堪えない。モノはいつか手放すものであり、執着するのもまた良くない。

しかし頭ではそう理解していたものの、実際に一回良いモノを手にしてしまった後でそれを潔く手放すと言うのには一定の勇気が必要である事もまた実感した。口で言うだけなら簡単だが、実際にやるのは何事も難しいのである。

そう言う意味では、お金が入れば適度に楽しむためにお金を使い、収入が下がれば軽やかに余計なモノは手放して身の丈でいつでも楽しむ事が出来る自分でいられる事が分かったのは、ちょっとした自信になった。車のある生活は楽しかったが、別になくても人生を楽しむ事は出来る。そう言う実感・自信は、この不確実性の高い時代において、不確実性の高い商売をやっている自身にとっては結構大切な事かも知れないなと感じている。

そんな訳で、全体として、おカネを楽しむためにえいっと使う事の楽しさ、車がある事による行動範囲の拡大、楽しいひととき・思い出、手放す時の名残惜しさなどを一通り味わい学び、自身の三十路ライフの味わいを増してくれたように思う。


○悪い面・微妙な面

1.定説通りに「死亡フラグ」になった。

アナリストの界隈では、「フェラーリの法則」と言うのがある。フェラーリを購入して雑誌等に掲載されるようになった経営者・そうした経営者の運営する企業は概して「売り」であり、この人もうピークアウトだな、と言う事になる。

自身の感覚では、イタリア車で真の「遊びのため・見せるため用の車」であり維持費も高くつくフェラーリやランボルギーニではなく、あくまで実用車のポルシェなんだ、と言う所でこの問題を回避した積もりであった。ポルシェと言うのは真面目堅物のドイツ人の作ったあくまで実用車であり、値段的にも特にエントリー~中位車種であるボクスターやケイマンであれば「サラリーマンが頑張ったらちょっとした贅沢として買える位」に設定(注:但しシンガポールにおいては車と言うのは日本の販売価格の概ね2.5~3倍増しの価格でありその限りではない)されており、故障も昨今殆どなく維持費も案外ソコソコで済む。『実用性重視の中での抑制の効いたラグジュアリ』の真面目堅物のドイツ人の血統の硬派なポルシェなんだ、石田純一やGacktが乗るような『真の伊達男・贅沢の象徴・良くも悪くも大人の遊び以外の何者でもないイタリア車』じゃないんですよと。

しかし実際の所はフェラーリとポルシェの間でそんなに大差はなかったかも知れないとも感じている。結果としてポルシェを買った時が自身の年収のピークアウトのポイントになってしまい、ぶっちゃけこの2-3年の自身の年収は、全く振るわなかった。相場の商売なんて言うジョブセキュリティがさっぱりないストレスのかかるリスクの高い寿命も長くない商売をやっていて、年収が普通のサラリーマン位(ヘッジファンドではベースサラリーは大概そう高くは設定されていないため、応分に収益を上げて応分のボーナスを得ない事にはこうなってしまう)では、率直に言って全く割りに合わずペイしない。

やはり、自分の楽しみのためとか、達成感の実感のためとかで大きな消費をし始めるタイミングと言うのは、何かしらこうピークアウトになりがちあるいはピークアウトの時期と重なりがちなんですね、と言うものがあるのではないか等と実感するに至った。アナリストとしては良い経験をしたと思っている。今後は少なくとも当面の所は、質実剛健質素倹約で電車に揺られて通勤する積もりである。


2.良い人のご縁や運気を運んでくれるかと言うと、副作用もある事を学んだ。

車と言う趣味が広がる事で得られるご縁もあるにはある一方で、『シンガポールでポルシェに乗っているファンドの人』と言う事実、またそれにより周囲に与えるある種の印象が、例えば良いご縁・人との出会いや運気面でプラスだったかと言うと副作用もあったように感じている。

車にお金をかけると、実態としてはどうであれ、世間から見るとよきにつけ悪しにつけ『お金持ちに見える』と言う面はあるのだなと言うのは実感した。詐欺師が成功者風味に見せるために高級車に乗ったり一流ホテルでセミナーやったりする場合があると言うが、これは効果てきめんなんだろうなと言う事は実感出来た。実際には昨今の水冷ポルシェは昔の空冷エンジンの頃と違って故障もしないし車検もそんなに高くはないし、維持するだけであれば世間が思う程には実際はお金はかからないのではあるが、世間でそう言う事を理解している人はさほど多くはない。

昔からの知人で、もともとの自身の出自・性格・キャラクターをよく知った人であれば、『あんたがポルシェ?ぷぷぷっ』と言う微笑ましいハロウィンの仮装行列的な何か的なネタである、あるいは『倹約ありきだったのに、勇気出したね~』と言うある種実験的な試みであったと言う事は理解してくれる。

一方で、初対面の段階で、 『シンガポールでポルシェのファンドの人』 と言うのが第一印象になってしまうと言うのはある種の問題を伴う事を実感せざるを得なかった面もあった。有り体に言えば、拝金厨、胡散臭い有象無象厨、 お金目当ての奢って奢って乞食、と言った有象無象の人種も引き寄せてしまいがちな面は今思うと否めない面もあった。表面的には口ざわりの良いお世辞を言うこうした人達に、実際は仕事・キャリアも難しい時期に差し掛かっており悩みもある云々でも話そうものなら、男女問わずサーっと引いてゆき、まともに話を聞いてくれたり相談に乗ってくれる人などいない。胡散臭い界隈の、お金・利害だけで成立している「お友達」等と言うのは得てしてこのようなものである。

そんな訳で、かなり気をつけていないと、利害・私心のない素朴・素直な朗らかな人達との本当の意味で豊かと言える長期的で信頼できる人間関係を構築するに際して、『シンガポールでポルシェのファンドの人』 と言うイメージ・色眼鏡で見られてしまう事については微妙な影を落とす面もあるのだなと言った事を身を以って学ぶ事になった。


3.モノが人生の諸問題を根本的に解決する訳ではないという事もまた実感した。

確かに良い車は楽しい。生活に華を添えてくれる。しかし、根本的な所で、物欲を満たしただけでああ幸せわが人生に悔いなし、人生の諸問題は全部解決、等と思えるほどに人生は単純ではない。当たり前の事かも知れないが、地方のさほど裕福でもないDQNとして育った自分には、そう言う事も実感して体験する必要があった。

もちろん衣食住がきちんと満たされ、それなりに良好な暮らし向きであると言うのは幸せを構成する要素として重要な所ではある。物質的に貧しい環境の中で心だけでも豊かに保つと言うのは可能ではあるにせよ相応の精神力・人間力が要るものであり、凡俗でそう高邁でもない一般人たる自身には、やはり「一定程度の良好な生活環境と金銭面の余裕」は幸せを感じ心身ともに満たされるには必要条件ではあると感じている。

しかしそれだけでは人間満たされる事はなく、つまり物質的な充足は幸福への十分条件ではない。社会に貢献できていて感謝してくれる人がいると言う実感であったり、金銭利害を抜きにして信頼できるパートナーや友人がいて自分には居場所があると言う感覚であったり、仕事が充実していると言う手ごたえであったり、そうした事柄もトータルで幸せ感と言うのは決まるものだ。車にお金をかけてみる事で、こうした事もまたよく実感出来た。


○まとめ:

以上を全体的にまとめてみると、『良い点』を総合すると成功者のうちの『高品質なもの、ラグジュアリなものを試してみる事を推奨する組』のアドバイスには相応の実感と妥当性はあるものと思われた。その一方で、『悪い面・微妙な面』から分かるように、成功者のうちの『金持ちになっても質素倹約』を旨とする組もまた正しい事を言っているのだなとも痛感した。結局の所、どちらの言い分にも一定の真理が含まれているように思われた。諸々ポジティブ・ネガティヴ含めて、大変に良い経験をさせてくれたと思う。

あゝ我が愛車よ、色々な学びと、素晴らしい思い出をありがとうございました。