2011年2月20日日曜日

箸休め:美術史の勉強。


箸休めに、美術史の勉強をまんがでしている。


結構いい感じだ。

ロマネスク(重い天井、それを支える分厚い柱と壁、窓は小さい、薄暗い神秘的な感じ)とゴシック調(高い軽い、ステンドグラスの大きな窓)の違いとか、確か学生時代の速読英単語byZ会のテキストに入ってたなーとか。職人からいわゆる芸術家と言う職業が確立して来たのがルネサンスですねとか、遠近法もこの頃ですねとか。別にオチがある訳ではないが、中々面白い。

ふと思ったのが、アートとは、過去を踏まえつつも、その時代時代でブレイクスルー、イノベーションをやっていると言う事で、それこそがアートだと言う事である。今の時点でルネサンス期のようなものを模倣してもそれはアートとは言わない。この時代に、新しく遠近法の技法を開発したり、油絵の手法を取り入れたり、人間を人間らしく描いて神様万歳から素晴らしき哉人間にシフトしたり、と言う事をやったからラファエロだのダヴィンチだのミケランジェロだのは「職人」ではなく「芸術家」たり得たのだなと言う事が読んでいてよく分かった。爪の先位で良いから見習いたいものだ(投資手法やトレード手法で新機軸と言うのも、中々難しいんですが!)。

また、ミケランジェロみたいな天才肌の人間でも、時々で煮詰まったり悩んだりするんだなとか。才能の量や規模的に全然違うが、筆者もリサーチスタイルを変えている過程で慣れない所は勿論沢山あるので、結構励まされる。慣れない所が沢山あると言うのは、進歩していると言う事だ。前向きに考えよう、とか。

芸術家の人生やありようと言うのも、中々含蓄深いものである。

2011年2月4日金曜日

売れなくなった後の話、人材登用におけるSpeculation・ガンマロングの重要性、金融業界の課題と今後5−10年の展望などについて


今日は↑こちらで。「売れなくなった後」これが案外カッコいいし、ここをグレないで真剣に続けられるかどうかが、勝負の分かれ目である。

例えば安室奈美恵等は、小室ファミリーから離れて一時的に売れなくなった上、人生においても色々困難もあったようだが、水面下で試行錯誤の活動を続けていた。それがアーティストや人としての幅や深みを深化させる事になり、後に再浮上するきっかけになった。

小室哲哉も、上のような「公平に見てトランスの曲としてかなりカッコいいんだけどセールスにはならない試行錯誤」をしたり、人生転落したり色々あったが、それがただの無駄になるか、アーティストとしての幅と深みに繋がるかは今後次第である。個人的には、人生に無駄な事はないから、ちゃんと反省すべきは反省して、人として無責任な面、お金や女性に対してだらしないとか依存傾向があるように見受けられた点、浮ついた面があった点、精神的に弱い面や心に闇や隙間があった点等ときちんと取り組む事で物事や自分自身とまっすぐに取り組んで、復活して欲しいと思う(注1)。心の闇や隙間を抱えつつ、それらの隙間や闇を動機付けにして、心の隙間や闇から逃げるように、あるいはそれらを叩き付けるようにして「切ない系の作品」にぶつけて作品を創る事で商売続ける、と言うありようではSustainableではない事を理解した上で、単に切ない以上の作品を創る段階にシフトするタイミングなんだろうし、それが出来るか出来ないかが彼の今後を左右すると思う(何言ってるか意味が分からないって?いやいや、多分音楽や格闘技、運用商売をやっている人、それ以外でも何かに真剣に打ち込んだ事のある人であれば概ね通じるはずだ。そう言う前提で書いている)。


さて金融業界(筆者の雑談は、大体金融の話の前フリである)。金融の同業者でも、日本の金融市場ニーズの減退等から、少なからずがメジャー(例えば大手ヘッジファンドとか大手投資銀行のプロップ等)からインディーズに潜る事になっている。

まあ技術が伴ってなかったな、過去のITバブルなり中小型バブルなりサブプライムバブルなりの時期にそこに居ただけだなと言った人も勿論少なからず居る。こう言う人はまあ、相場付きがちょっと変わったら機能しなくなるのは仕方ないように思う。また、有り体に言えば、人柄や人間としての部分がどう考えてもいけすかなくて、「あんたには年収300万円でも多過ぎだから」みたいな人も残念ながら居たりもする。まあこう言う人達については、価格がファンダメンタルに回帰しただけなのでそれはそれでどうでも良い話だ。

しかしこれがどっこい、一方で中々これが良いプレイをする、メジャー時代よりも良いんじゃないのと言う日本人ファンドマネジャーも居たりする。

メジャーに居た頃はちょっと有り体に言えば「頭いいのとか優秀なのとかは分かるんだけどあなたちょっとアロガントなんじゃないんですか、人間としてどうなんですか」と言う感じだった人もいる。

しかし例えばこう言った人物が独立して上手く行かなかったりだとか試行錯誤していくうちに、見た目の年俸は全然低くなってしまっているにしても、進化・深化して行くのだ。

つまり謙虚さを学んだり、優秀である以前に人間として信頼出来る仲間・従業員を確保する事の難しさ・重要性や有り難さ(こう言う人材を集めるのが、一番基本的かつ重要なコンプライアンスなのだ、特に規模が小さいと細かい制度まで整える事は出来ないので)を学んで行ったり、中々カネにならない中でカネと言う以外の要素でなぜこの商売を続けて行くのかを問われたりするのだ。

この過程で、貧すれば鈍するでグレちゃったりおかしくなってしまう人も勿論少なからず居るが、中にはこの過程が中々もって良い形で作用して、運用者の人格と深み、運用スキルや技術を増す事になったりするのである。

筆者の今後5−10年位の目標は、こう言う「技術があり、かつ技術にモラル・人柄・品性品格の類いがちゃんと伴って来ている」人達が活躍出来る、「Japan as 資本主義Master」としての次の「華の時代」を創る事に、少しでも貢献する事なのかな、等と最近思うようになった。

ジム・ロジャーズは「もう金融マンの時代は終わった、農業だ」と言うし、それは分かるのだが、筆者は敢えて、「日本人×金融」と言う、「取り敢えず最も終わってるね」と言うのがコンセンサスの組み合わせに、シンガポールにて、人生を可能な限りハイパーベットしたい。

つまりはこう言う事だ。

・単に日株の輸出ではなく、グローバルマクロとかマルチストラテジーとかパンアジアの運用を日本人がやる。欧米の年金基金等からもそう言ったお金を受託する。「日本人は金融も結構行けるんですよ、資本主義の仕組みを理解して活用する能力があるんですよ」と言う実力とブランドを確立する。

・日本の金融業界のビジネス規模、売上利益がこう言った事でちゃんとキープされる。

・それにより、例えば先のエントリーで書いた「何某」のような「可能性だけ」の新卒や第二新卒位の新卒を雇えて、楽しさと遊びとゆとりのある教育(注2)を施したり、相場と接させる事を通じて人格の育成等も含めて人材層の厚みを出せるように、日本の金融業界がなる。

・そして日本がスイス、シンガポール等と並ぶ資産運用大国になる。経済規模は中国やインドより下だが先進国としての知恵と品位品格がある(これが大事だ)事をもって国際社会でちゃんと一目置いて貰えるような国になる。金融に実力と知性と、あとは品性と言うか、品位品格のない国は本当の意味で先進国とは言えない。

こう言う事に多少でも貢献出来たらな、等と思うのであった。

また、過半は細かい雑用や作業の蓄積である日々の調査やトレードも、こう言う気持ちを乗せてやりたいものだな等と思う昨今であった。


注1:

筆者からのささやかな提言としては、まずミーティング等をすっぽかしたり何時間も遅刻したり、プロデュースする女性を手当り次第に食い散らかしたり、品のないカネの使い方をしない事だ。

筆者も気持ち的に分からなくもないし筆者自身の過去を考えると大きな事を言える立場ではないが、アーティストだから多少無茶苦茶でもいいのだと言うのはそれは甘えだ。もう業界のシニアなんだから、甘えていてはいけないし、まっすぐしっかりビジネスとして仕事に取り組むものだし、稼いだらカネや女に無茶苦茶でいいと言うものでもないし、魚はダメとか食べ物が好き嫌いだらけで良いと言うものでもない。

筆者的には、この辺が彼がちゃんと過去を反省しているのかどうかのバロメーターになると思う。再び売れだしたら再びこの辺が適当になって来たりしてるみたいな話を聞く事になったら、Avexの経営陣もファンもさすがに見限ると思う(見限るべきだと思う)。


注2:
ゆとり教育と言う事ではない。厳しい教育だが、例えばチンピラを格闘技を通じて格闘家・人間としてちゃんとした人間に育てて行く、みたいな感覚だ。

筆者の問題意識は以下のようなものだ。

今の外資系金融の東京法人やヘッジファンドでは、収益面等で余裕がないからまず新卒や第二新卒レベルを雇うキャパが以前ほどないし、新卒にゴージャスで手厚い教育をする余裕がないし、その上人材登用において、前のエントリーで書いたような「Speculative Buy」をする余裕がなくなって来ておりアンパイの秀才ばかり集まる業界に昨今なってしまっているような気がするのだ。

これが業界の煮詰まり感と先細り感を増大させているように思う訳である。これでは人材の層が厚くならないし、業界が先細りになってしまう。

人材登用において、多少のコストを払ってディープアウトオブザマネーのオプションを買ってガンマロングを取るようなゆとりが業界として必要だ。アンパイばかりで構成されているポートフォリオでは、「強烈なリターン」「一足飛びの進化」は生まれないのだ。大体面白くない。「ダメ人間が格闘技や相場を通じて成長し、真っ直ぐな大人に育って行く」と言うその過程そのものが一番のドラマであり、商品にもなるのだ。今の日本の金融業界には、これがない。ドラえもんは、のび太が大長編の映画でカッコいいから泣ける。出来杉ではドラマにならないのだ。そして今の金融業界には、バカでぐうたらでスケベでダメダメだが人間的魅力があり意外な所でヒーローの素養がある「のび太」が不足している。出来杉ばかりでは業界が盛り上がらないのだ。

例えば織田信長は農家上がりの豊臣秀吉なんかを登用する「遊び」「Speculative Buy」「人材登用におけるガンマロング」をしたから、ある段階から急速に台頭した。ものごとには「有意義なムダ」「意味のある余分」と言った、ある意味「遊び」の部分が必要なのだ。ちなみに前回書いた「何某」は、確実にこの点を意識されて採用され、「お師匠」は「ポートフォリオにはSpeculativeなのも入ってないと、豊かなものにならないんだよ」と言った趣旨の事を仰っていた。

でもって、「遊び」を可能にするには、ちゃんと業界が一定規模ある必要がある訳である。
それを可能にするには、もう「日本株ファンド」を外に売るとか、日本と言う商材を英訳して右から左へ輸出するだけではダメなのではないか。ちゃんと「金融の知識とスキル」、もっと言えば「資本主義、金融についての知恵」を売りにして商売をやって行かないといけない段階なのではないか。

だから、「Japane as 資本主義Master」に、少しでも貢献出来ればな、なのである。

元々「日本人では展開が速くて、強い個人による狩猟民族的スポーツであるサッカーはダメ」だと言われていたが、今般のレベルまで来ているのだ。金融でだって、それは不可能ではないと思う。

よくよく見れば、日本の金融にだって、前向きな素地はある。日本人の金融能力は、平均値は中々上がらないだろうが、プロフェッショナルの一部のユニバースだけ取り出せばユダヤ人の次位(彼らと対抗しようとは思わない)にはなってもいい。

日本人の運用者やリサーチのレベルは決して低くないし、「狩猟民族」としてのレベルも高い人間は高い。

資源がないとか、中国人が台頭して来る中で上手くやってかないといけないとか、工学・数学で一定のレベルがあるとか、日本語ベースで「国債の歴史」等の大著が学べる環境があるとか、日本人的勤勉・改善スキルがあり常時日本刀を研ぎ続けるような地道な作業が出来る一方で今後内需だけで回す事は無理だろうなと言う理解が広がっている(=外に出て狩猟民族スキルを磨く必要性、研いだ刀の切れ味を活用する必要性が出て来て居る)とか、よく見ると素地はあるように思うのである。

もちろん、全体としては、内向き志向、中国人対比で頑張りがない、教育レベルも落ちているとか色々あるんだろう。

しかし、筆者は比較的楽観的である。金融の世界は平均値やコンセンサスの世界ではないし、業界や世の中を変えるのに必要な人数はそんなに沢山は要らないからである。

一定数がスーパーサイヤ人として覚醒したり、Matrixのネオみたいな感じになったり、召喚士や黒魔導士としてバハムートやメテオやフレアを連発出来るようになればそれでいい。そう言う人間が幾らか出て来る素地が出来ればいいのである。

何か微力でも、日々の仕事やブログやツイッターやを通じて、こう言う事に貢献出来ればいいなと思う。

こういった所が筆者の問題意識である。筆者も、全ては相場から、株の調査や運用と関わる事から学んでおり、ただのひねくれた若者から、以前書いたお師匠等が引き上げてくれたお陰で、真っ直ぐな人間に成長させて貰った。これの恩返しを、ほんの少しでもいいからしたいものだと最近思うようになった。年なのかな(^^;)。

2011年2月1日火曜日

年寄りの昔話:小室哲哉と外資系金融、アナリスト


雑談である。

ヤフーかなにかのニュースで、小室哲哉名義で22年ぶりにアルバムをとか出ていて、ふと思い出してこれ↑を聴きたくなって、ふと聴いた。うおーいい。

勿論最近の詐欺事件等は決して許されるものではないし、当時も勿論「売れ線ありき」「拝金主義」等等批判も沢山あったが、上記Youtube位の頃の小室哲哉やglobeには、何とも言い難い「華」「勢い」「色気」「艶」があったように思う。

技術云々ではないのだ。
漂うオーラとして勢いがあったのだ。
唸るような金額のお金が動いていた。
唸る程のセールスを上げていた。
曲も詩も華があった。



この曲を聴いていて思いだすのが、10−15年程前の日本の外資系金融機関の状況だ。ここからはとある老兵の独り言だ。興味のないかたは飛ばして欲しい。

小室ミュージックがピークからピークアウトしていく位の頃、全盛期のコムロミュージックと似たような雰囲気が、往時の外資系金融機関、もっと言えば、株のアナリストの世界にはあった。

少しバブルの泡沫的雰囲気もありつつ、演奏や歌の技術力と言う意味では結構適当な面もあったにせよ、個性のある面白い人達が沢山居て、唸るような額を稼いでいた。

元々は都銀に入れなかった落ちこぼれの集まる証券会社の、更に大してエリートではなかった閑職「アナリスト」に配属されて、オフィスの片隅で大量の統計資料等にまみれてちまちまやっていたオタク的な「傍流の人達」が、ある日日本の銀行の凋落、直接金融シフト、株主重視等の時代によって、スターに押し上げられる事になった。

気づいたらそうなってた、と言う感じだったそうだ。英語の勉強とか、株式分析の勉強は勿論地道にやって、統計資料にまみれて地道にオタク度を高めて行った面ももちろんあるけれども、それにしても気づいたら、周囲に株の調査が上手く出来て英語が話せる人が居なくって、年俸は絵画のオークションに付く値段のように跳ね上がっていった、らしい。

当時の甘いファイアウォール・コンプライアンスの中で投資銀行のディールに関与して稼いでいたセルサイドアナリストはもとより、バイサイドでも、「セルサイドでも通用する」と目されていた者で、バイリンガルで外資で通用する者であれば年俸が「億」レベルのアナリストが日本にもいた。オタクの貰う給与としては破格だった。何某の師匠が、そう言う人だった。

学歴も目立ったものはない、資格もない、会社員なんて嫌だなあと思いながら証券会社系のシンクタンクの隅っこで80年代のバブル入る前位に社会人デビューをし、当初は会社員なんて面倒臭くて、しょっちゅう会社をサボって公園で散歩していたような「アウトロー」の海賊が、90年代には外資系金融に移籍して、唸るような額を稼いでいた。そう言うカッコ良さが、当時のアナリストコミュニティにはあった。

彼らの新卒の採用方針もまた、今では考えられないようなものであった。

新卒の面接で、

「真剣に付き合っていた彼女と別れたんです。で、シュウカツとか会社員とかもう何もかんもどうでもよくってやる気起きなかったから、大学を休学してニューヨークで夜な夜なClubで遊んだんです。Clubシーンの情報格差があってニューヨークの情報を東京に持って行くだけで貴重がられたりするのを感じたりしたんです、キンユウのアービトラージってまあそう言う事でいいんですよね。で、恋の終わりからも立ち直って、英語も多少喋れるようになって、生命力が付いたような気がするんす。こう言う経験があるのが、僕の強みですかね。」

などとタメ口で宣い、マッキンゼー出身の外人アナリストの英語ケーススタディでしどろもどろで英語が余りにヘタだったので手許のノートに絵を書いてなんとか切り抜けたような某バカ学生が、「俺の若い頃みたいだ」として「Speculative Buy」のレーティングを付与された上で、当時1万人のアナリスト志望者からの数名の採用枠において、その一人として採用された。

なんでも、「君は変わったオタクみたいですね?」の問いに、「ハイ、それが強みです」と答えて、当時立ち上がっていた音楽配信ビジネスのコスト構造を細かく指摘して、当時試みられていたビジネスモデルでは事業は成立しないでしょう、当面難しいでしょうと大変に上から目線で答えたのが、「良かった」そうだ(実際、音楽配信ビジネスが本格的に立ち上がったのは、これからだいぶ後、ブロードバンドインターネットが普及してiTunesにiPodが出た後である)。

90年代に大流行した、「エヴァンゲリオン」の謎解きにハマっていた事も「高評価」された。アナリスト候補生たる者、例えばリツコさんのタバコの灰が「ぽたっ」と灰皿に落ちたひと刹那のシーンで、「ああ、ゲンドウとリツコさんは不倫してるな」等と感じ取れた方がいいのだ。

こう言う所で、世間体を取り繕う事に意識を取られて、「私は変なオタクなんかじゃありません、社会人として立派に云々・・・」とかつまらない事を言ってしまったり、ネクラだと思われる事を恐れて「エヴァンゲリオンは社会現象のようですが、私は知りません」等と言ってしまっていたら、今の何某はなかったのだろう。つまり常に自分らしくあれ、それが道を拓く近道だ、と言う事なのだろう。

そして内定後は、マネージングディレクターとかグローバルエクイティリサーチ何とか統括部長と言った肩書きの「お師匠」相手に、殆どタメ口で、最近読んだ金融や株の本の話、バカな若者の無茶苦茶な女性関係等の話についての議論を職場で平気でする事を、当時ちんちくりんだった某学生は許されていた。民エレや通信の一流アナリストたる者、当時必須アイテムになりつつあったネットや携帯電話等を使いこなす若者のカルチャーには、謙虚に耳を傾けてみようじゃないかと言う事だったのだ。当時を振り返るに、「タメ口で最初は当時はちょっとむっとしたし、この子大丈夫かなあと思ったが、若者はいつでもこう言うものかなあと思ったし、入社後は真面目に働いたので見直す事にした」との事だったらしい。

そして、採用新卒のちんちくりんの学生だった何某のやった、ちょっとした調査や財務モデルの作成の「ご褒美」として、オーパスワンやシャトーマルゴー等の、何某には価値はよく分からないが結構昔の年代のワインが惜しげもなく開けられていって、お祝いしてくれた。

シャトーマルゴーを開けながら、こうしたシニアから繰り出される多少のウィットや下世話な話も伴う株やファイナンスの話、ジャズ等の音楽やアートの話は、当時聴いていて付いて行くのがやっとだったが、「ワルな感じででも品があって知的」で面白かった。

外資系金融の東京オフィスも当時は政治力もあり余裕もあったので、政治的に守られた立場でニューヨークの研修等に出して貰えた。プール付きで家族が住めるような部屋がちんちくりんの学生上がりにあてがわれ、ニューヨーク大学等のFinanceやAccountingの教授の講座を受けて、週末はマンハッタンのClubで遊ぶような生活が与えられた。

NYのグローバルヘッドとの会食で美味しいメシや酒が出たあまりに飲み過ぎて、記憶が飛んでしまい、当時F**kingは「超」と言う副詞としても使えると言う事を学んで良い気になってしまったのか、F**kin+形容詞!等の言葉を連発しても、なぜか不問だった。どこかから手回しがあったのかも知れないし、グローバルヘッドの奥さんが日本人で日本人に理解があったからかも知れないし、この奥さんとした、題名は忘れたがむっちゃ内気で内面をえぐるような小説の話などで気が合ったせいかも知れないし、理由はなんだか分からないが、欧米のお偉いとの飲み会はビジネスであり、飲み過ぎでべろんべろん等と言うのは言い訳として許されない事を考えると、今考えると幸運の待遇だった。

帰国後も、外資系にしては珍しく、アナリストとしてのスキルのイロハ等をちゃんと教えて貰えた。

「よし株式調査部長MDより休暇を許可する」、の一言で休暇が与えられ、当時のMDとホノルルマラソンに一緒に行った。ハワイで旅行中に彼氏と別れて単独行動しているらしいハタチ位の日本人の女の子に声を掛けられたので、その夜のMDとのディナーに彼女を飛び入りで連れて行っても、おお面白いねえの一言で歓迎された。今考えると、とてもじゃないが部下としての振る舞いではなかった。本当にただのレジャーで行っていた。同行していたセルサイドのセールスの年上の女性が持参し忘れた着替えの下着を、パシリとしてシャワールームに届けに行ったりして、泡の湯船で見えそうだけど見えない状態でありがとうと言うその同業者の先輩に、微妙にドキドキしたりする感じを楽しんでいた。「お師匠」のコミュニティでは、セルサイドだからとかバイサイドだからとか言うものはなかったのだ。空き時間にはハレクラニでフィッシャーの成長株の本を読んだ。単純に楽しかった。



・・・時を経て2011年、そう言った数知れない思い出をくれた何某の往時の「お師匠」は、この業界を駆け抜けるように駆け抜けられて、そして帰らぬ人となった。

アナリスト華の時代だった90年代が終わり、2000年代に入って、急速に逆風が吹きはじめる中で試行錯誤を続けられていて、過労とストレスが祟ったのかも知れない。

何某は、この知らせを聞いた時、何も出る言葉がなかった。
シニアとは言え、年齢もまだ壮年位で老年からは程遠かったし、心の準備が全く出来ていなかった。この知らせを聞いた時、取り敢えずシンガポールから日帰りで東京に飛んだ。

とにかく、手を合わせて「ありがとうございました」と心の中で祈る事しか出来なかった。



そして、ふとある想いが胸を去来した。



ああ、一つの時代が終わったのだ。

この現実を、受け入れないと、いけないんだよなあ。

ありがとうございました。

ありがとうございました。


・・・90年代の全盛期のコムロミュージックと共に語る、とある中年の昔話、独り言であった。