2011年5月12日木曜日

○アナリストJobの変遷 その2

さて、前回の「定量化万歳期」の続きである。


○やってみると分かる、Valuation Model至上主義の限界

今日は題名の件について。
Valuation Model至上主義の顛末について説明したい。

さて、こうした「Valuation至上主義」の隆盛も、長くは続かなかった。理由は簡単だ、運用としてワークしない、端的に言えばMBA出の秀才等を高い給料払って大量動員してDCFを詳細に詰めると言う資本投下が、必ずしもリターンに結びつかないからである。

実際にモデルを作って株式市場と向き合ってみると、DCFモデル(やあらゆるその変形・類似の株式価値評価)には大きな限界がある事が分かる。端的に言えば、「DCF Valuationは説明の道具であって、投資でアルファをもたらせるような道具ではない、”真の株価”を撃ち抜ける等と言うのは単なる幻想でしかない」と言う事が実際に試してみると分かるのである。以下に、幾らか問題点を述べてみる。同業者にしたら当たり前のものばかりで釈迦に説法になってしまい恐縮だが、対象は主に学生さんやエントリーレベルの若手を想定して書いている点を添えておく。


1.変数が多すぎる。

なにしろ変数が多すぎるのである。分子のキャッシュフロー予測については、先のエントリで書いた通り、売上~当期利益予想までの各項目。それに分母の割引率。しかも変数各々について、一定の誤差や範囲が付きまとう。

ここでちょっと考えてみて欲しい。例えば、売上を数量×単価で予測するとする。この際、数量の予測では上下10%位の範囲であれば「論理的に許容出来る妥当な範囲」で、単価の予測でも上下10%の範囲くらいは同様とする。例えば携帯電話の業界の売上予想を作る際に、ARPU(1人当たりの月間平均携帯料金)を、6000円、6600円、5400円で入れても、どれもまあ「こんなもんかなと思う水準だよね」「前提としてそんな破綻したもんじゃないよね」と言った状況を想像してみて欲しい。財務モデルの予測とは、こうして「連結業績」と言うそれだけでは予想がしづらいものを、妥当な範囲が限定できる単価、数量、市場規模、シェア等にブレークダウンして行く過程だと考えると分かりやすい。

ところがどっこい、これらブレークダウン数字を「論理的に許容出来る妥当な範囲」で全部入れた所で、最終的な結果は非常に幅広いレンジを取ることになる。例えば上記の単価×数量の場合、数量×単価で掛け算しているので、非常に大雑把な議論をすれば、上は1.1×1.1=+21%、下は0.9×0.9=-19%位のレンジであれば「論理的に妥当な」予測範囲として受け入れられる。数量×単価の結果としての売上の中心的な予測値が100であれば、81~121の範囲の予測を作成出来てしまうのである。

更に、5年10年先のキャッシュフロー予測を作る過程でこの誤差はどんどん大きくなる。例えば、売上成長率を年率4%で10年続くとすると、当初100だった売上は10年後に148になる。これを3%にすると134、5%にすると163程度になる。比較的安定成熟した商売を想像してみると、年率3%でも年率5%でも、上記の通り単価や数量をちょっと調節すれば説明の付く妥当なものとして作成可能である。それでこれだけブレてしまう。

更には、DCFの予想の最終年度を発射台として、それ以降は「Terminal year」と言って、それ以降は永久的に一定率で成長すると言う前提を置く訳だが、これの式が「CF予測最終年度×(1+成長率)/(割引率-成長率)」である。この部分がValuationへの寄与度が最も大きくなるのだが、上記の通り、CF予測最終年度は「鉛筆なめなめならぬスプレッドシートいじいじ」で例えば134から163まで操作可能で、しかも割引率も成長率も一意に決まるものではなくある程度の範囲を持たせる事が可能なのである。

もっと話を進めよう。上記ではDCF Valuationの分子であるキャッシュフローの誤差について記載したが、分母の割引率だって簡単にスイングする。

株主資本コストについては、計算の弁法として、例えばベータの計算期間を変えたり、マーケットリスクプレミアムをちょっと変えれば、結構な範囲で数字を「作る」事が可能である。

また、マーケットで実際に起こっているのは、信用膨張~収縮の過程で、リスクプレミアムがドラスティックに上下していると言う事である。金融緩和が為され、市中にマネーが溢れ、景気も回復途上にある際には人々がリスクを取りたがり、リスクプレミアムは低下する。これが、例えばリーマンショックや震災等のショックが起きると、人々はリスク回避志向になり、カネ回りは悪くなり、リスクプレミアムが急上昇する。大雑把に考えて、割引率が5%から10%にジャンプすれば、割り算の分母が倍になる訳だからValuationは概ね半分になる。「確固たる真の割引率」なるものがあるのではなく、それはマクロ経済の状況や人々のリスクアペタイトと言う「心理的要因」が大いに関連している、揺れ動いて然るべきものなのである。特に、ボトムアップ一本やりの「ザ・アナリスト」的な人、マクロ経済音痴のアナリストだと、分母の割引率が変動すると言う感覚が不思議な位身に付いていない事が多いように思う。

詰まる所、誤差や範囲が生じざるを得ない「想定・予測」の類いを掛け算したり割り算したりしていく過程で、誤差が増幅していくのである。

そんな訳で、筆者も他のアナリストもそうだが、「買いのValuationを作れ」と言われれば現状の株価よりIntrinsic Valueがかなり上の「現在の株価が割安感に溢れた財務モデル」を作れるし、売りのValuationを作れと言われれば現在の株価が割高のモデルも「論理的に妥当で説明可能な数字として」作れる。M&Aの現場などでは、まず「落とし所となる適正価格」ありきで、それを意識しながら逆算して各々の項目で見ればラインbyラインでソコソコ説明可能なValuationを作ったりもするものである。

詰まる所財務モデルとは、説明の説得力を上げるための弁法と言う要素が強く、これ自体で「真の価値が打ちぬけて、その通り売買すれば儲かる」と言った類のものではないのである。バンカーやセルサイドアナリストはそれで良いと思うが、投資で実際お金を張る側からすれば、「参考程度のもの」であり、意思決定の道具としてはかなりファジーなもののように思う。

言ってみれば、DCFと言うのは科学と言うよりは、数字を使った芸術や文学の類に近い要素がある訳である。細かい減価償却の予想やら、のれん償却のキャピタライズだのオペレーティングリースのキャピタライズだのの会計制度の違いを除去するテクニックを幾ら厳密にやった所で、最後のアウトプットたる「本源価値」はもやーっと曖昧なかなり広い範囲を取るものにならざるを得ないのである。何しろValuationの決定要素の過半を決める「割引率=リスクプレミアム」や「成長率についての人々の期待」は、心理的要素で決まる面もかなり強いのであるから、これ至極「文学的」なのである。

そんな訳で、DCFを金科玉条に掲げて幾らマニアックにモデルを詰めても、バンカーならディール手数料、セルサイドアナリストならアナリストランキング入り等の形で「説得力に対する対価」が得られて報われるかも知れないが、こと相場でリターンが取れてなんぼのバイサイドについては、その活動が必ずしも報われるかと言えば、そうは行かないのである(注)。

・・・1を書いただけで随分長くなったので、他の問題点についてはまたの機会に・・・。


(以下注釈)

(注)しかしあまりDCFを馬鹿にし過ぎてもかわいそうなのでまあ何歩か譲ってDCFを投資で使える局面も書いておく。

1.財務モデルを作成する過程で、調査先の業界や企業に詳しくなれる。

PL、BS、CFを予測する過程で、例えば業界の市場規模、シェア、今後の見通し、その会社のコスト構造、設備投資が必要な産業か既にキャッシュ回収期なのか、今後キャッシュが余るか不足するか(=増資等が起き易いか自己株買いや配当が起き易いか)、等等について自然と考えるきっかけが出来る。アナリスト初心者でも財務モデルを例えば1業種の同業数社で作成してみる過程で、自然とその業界の構造や特徴等が見えて来ると言う面はある。その業種や企業に詳しくなる事自体は、投資判断の上で有用であるし、無駄ではない。但し、知識量と相場でのリターンが正比例するかと言うと、そうでもない。やたらマニアックな事まで業種や会社に詳しいけど全然株価当たらないアナリスト、と言うのは結構良くあるパターンである。この点は留意が必要である。


2.株価のバブルや恐慌時の常識チェックの際には使える面もある。

つまりバブルの際は、DCFで計算するとバブリーな株価を正当化するには毎年二桁成長が永久に続く必要がある、と言った具合になる。世界のGDP成長率が概ね数%前半~中盤なので、これだとこの会社1社がどこかの段階で地球中の富全部より大きな価値を持つ事になってしまう。これはおかしいなとか。

こういう時は一時的にリターンが周囲より冴えなくなる覚悟を取って、お祭り騒ぎから離脱しないといけない。(但しこう言う時にショートはお勧めしない。お祭り騒ぎは存外長続きする可能性があるからだ。ITバブルの時にソロスやタイガーマネジメント等の有力運用者がこれで苦しんだ。Valuationが高過ぎると言うのはそれ単体でロングポジションから離脱する理由にはなるが、それ単体でショートをする理由にはならない。)

あるいは恐慌の時に「どう保守的に予想して割引率を10%とか15%とかで入れても今の株価は割安だな、未公開株・PE投資ならともかく上場株の割引率が15%と言うのは皆さんリスク回避しすぎでしょう」とか。

但しこういう局面の場合は、詳細なDCFモデルなんて回さなくても、単純な常識チェックで高いとか安すぎるとか言うのは分かると言ってしまえばそこまでである。ハッキリ言って、ロングオンリーのバイサイドに、財務モデル作成とアップデートのために業種ごとにアナリストを大量配置しておくべき必要性など、ロングオンリー側に居た事もある筆者からすると、殆ど感じない。単に年金コンサル向けに「弊社はこんなにアナリストを張り付けていて云々」と説明するための飾り、方便位のもののように思う。感覚的には、業種別でバイサイドでアナリストを配置するなら、「テックな人」「消費材・内需系の人」「自動車とか資本財とかの人」「Special Situation、中小型株、投資テーマその他の人」位の大雑把な分類で何人か配置して、セルサイドの情報も貰いながら効率的に動けばそれで充分なように思う。何度か書いたようにも思うが、日株ロングオンリーのバイサイドアナリストと言う分野は、年金も取り崩しで運用会社の売上が伸びる要素もなく日本株の調査運用ニーズが劇的に増える事も考えづらいと言う中で、今後人材の淘汰が進んで行くと思う。

話を戻すと、上記のようにバブルのお祭り騒ぎから脱出したり、バーゲンハントしたり出来るか否かと言うのは、DCF等のモデリングの「知識」の有無の勝負と言うよりは、人間としての「規律とか胆力」、不況期においては「その時点でリスク取れる余剰キャッシュを手許に持ってるか(でもってこれはバブル崩壊前に規律を持って離脱していないと確保されないのである)」の有無の勝負の面も強いように思う。

結局、投資運用と言う商売は最後はどこまでも属人的な面が残ってしまうもののように思う。DCFモデルの作り方にせよ、バフェットやソロスの投資・投機プロセスなりフレームワークは色々な書籍で公開されている。それを「知る」のは第一歩として重要なことだが、それを知っていれば誰でもバフェットやソロスになれる訳ではないのである。

筆者の過去の幾つか転々とした運用会社の勤務先でも、DCFのお授業的なものだとか、バフェットやソロスの書籍で勉強会をするなどと言った活動は行われていた会社はあった。まあ平均レベルの底上げのためにこういうのは必要なのかも知れない。しかし今振り返ると効果は芳しくはなかった。

先ずDCFの所でつっかえたりだとか、ソロスの本程度で「哲学的で難しすぎる」等と言う人が(一般人でなく同業者で)居る事には驚いた。つまりこの手合いは「知る」段階から脱落である。

更には、頭では理解できても、安月給のサラリー貰ってダメならくびになる訳でもなく成功すればひと財産築ける訳でもなくまったりやっているようでは、投資・投機に必要な「規律と胆力」は育たなかったように思う。会社入って30年ローン組んで家買って飲み屋で同僚と会社の愚痴でくだまいて、社内での評価上げるために格好付けで勉強会なぞやったり出たりなんかしてみてみたいなサラリーマンマインドと、投資・投機と言うのは相容れない類のものだ。

第一そこには人生の重みがかかっていない。投資・投機はもっと真剣なものだ。まあ物理的な戦争でなくマネーを媒介としたエネルギーの概念的なぶつかり合いに参加すると言う事だし、普通の人は孫正義氏のようにはいかないだろうから命まで賭けなくていいが、せめて進路、生活のありよう位かかってないと、ただのバーチャファイターの類で、全然真剣さが出て来ないのである。

運用組織を強くするには、(運用を良く知らない日系運用会社のマネジメントや年金コンサルのお好きな)組織体制だの勉強会だの言った表面的な事では上手く行かないのである。調査運用担当者の人間性、規律と胆力自体が相場、実弾のマネーに揉まれて磨かれるような場こそが必要であると思う。

言ってみれば、ガンダムの主人公のように、

「ある日民間人がぽっと戦場(=マーケット)に出くわし」
「何か知らんけどモビルスーツ(=マネー)と言う強力な力を自分のフリーハンドで扱う権限と責任を与えられ」
「実際に戦場(=運用の現場)に出てこれが戦争(=自身の進退のかかった場所)だと言う厳しい現実を突きつけられ」
「引きこもりがちな少年は大人に成長してゆくのであった」

、、、と言う状況を、楽ではないけど全く不可能でもない適度な難易度・負荷量(=最初は対ザク戦から。ニュータイプ強化人間みたいに心身壊れてしまったりしない範疇)で作る必要があるのである。ドラクエで言えば、ルイーダの酒場でグダグダ言ってないで冒険に出る状況を、適度な難易度で(最初はスライム・ドラキーから、最初は少額の運用やそれに関するリサーチから)作る必要があるとでも言おうか。

しかしそうなると、大手の運用会社がやっているような、ファンマネ、アナリスト、バイサイドトレーダー、と言ったトヨタ的な工程別流れ作業よりも、ハーレーダビッドソンのような(あるいはガンダムのパイロットやプロップやヘッジファンドのような)、権限・責任が完結しているセル生産の方が向くようにも思うのだが、規制対応上無理やりバイサイドトレーダーと言った職種が出来て今の大手ロングオンリーの分業体制が出来ている経緯もあるので、多分大手ロングオンリーの状況はそう簡単には改善しないとも思ったりもする。大手ロングオンリーの調査運用執行分業体制と言うのは、言ってみれば1機のガンダムを操舵、攻撃、防御等機能ごとに複数人で足を引っ張り合い責任のなすり付け合いをしながら操縦しているようなもので、非常に効率が良くないのである(そうしているうちに簡単に撃墜されてしまうのである)。

更には、報酬体系や人事制度などを「実弾のマネーに揉まれて人間性、規律と胆力が磨かれる」形にするのは、多くの大手運用組織では中々無理な気もするのであった。

・・・って、DCFの注記から随分話がそれてしまった。この辺の話を書くと、幾らでもながーい注記になってしまうので、この辺にしておこうと思う。

2 件のコメント:

  1. M&AにおいてもDCF/EBITDA multipleが非常に多く使われていますが、最初に握った価格を関係者が建前として合意すること以外に意味があるのでしょうか?
    某投資銀行の方は企業価値なんて誰にも分からないですからとおっしゃっていました(私は同意)。
    常々疑問に感じています。
    本稿の注記にある副次的な効果は非常にあると思うのですが・・・

    返信削除
  2. コメント有り難うございます。M&Aのプロセスでは、第三者(投資銀行とか、会計事務所等)が適正なValuation手法を使って適正な評価をして貰った、と言う外観を整える事自体が必要なプロセスのように思います。こうする事で、経営陣からすると、例えば株主に「このM&Aはお手盛りで高値買いし過ぎで株主に損失を与えたから株主代表訴訟で云々」と言った事をされる事を、「いやいやプロの第三者機関に査定して貰ったから」と言った具合に防げるのだと思います。

    返信削除