2010年10月25日月曜日

→→→そしてシンガポールへ その2→→→

友人に壮行会を催して頂いて、
この日ばかりはほろ酔いの帰りの湘南のひと刹那。

小さな埃が、風に舞って闇夜の向こうに消えて行った。


月夜がきれいだ。


ただいま。

誰に向かってと言う訳ではないが、思わず呟いた。


おかえりなさい。

誰かが応えたような気がした。


・・・やべーシマッタ、おセンチだよこれは(爆)。
ラベルに「インベストメント三文ポエム」も入れといて、フィクションと言う事にしておこう、これは。

→→→そしてシンガポールへ→→→

突然だが、シンガポールで仕事する事になった。
取り急ぎ引越しの準備などしている。
また、お祝いして頂けるかたも沢山居て、やっぱりこう言う友人こそが財産だなーと実感する事しきりである。
関係する皆様、有り難うございます。

つきましては、当面ブログの更新頻度がかなり落ちるかと存じます。何卒ご理解賜りますと幸いです。また、ブログの頭に記載の通り、マーケットの動向、個別の投資戦略や銘柄についての記載は控えさせて頂きますので、この点も何卒ご理解賜りますと幸いです。生活が確立して来たら、シンガポール生活レポートでも書いてみようかと思っている。

人生面白くなってきたー!

書評:エンデの遺言

エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」 [単行本]


今更だが改めて読んだ。これは必読だなーと改めて実感。お金を、交換機能、価値尺度の機能、価値保蔵機能、投機の機能、支配の機能、と分けて書いてあり、正に「根源からお金を問うて」いる。自然の法則に反して価値の減衰しないマネーに「利子」が付される事でどのように世界の運行に作用しているのかを的確に指摘している。


曰く、マネーと言う元来公共財、公共道路に当たるものに、保有する事で私的な利子が付いていると言うのは、「高速道路に勝手に無料で入れて、しかも道の真ん中に車を止めて、”君ら急いでるんならカネだしな、そしたらどいてやるから”と言えるようなものだ。」「マネーを持つ者は圧倒的に有利に立てる。一般財(農作物や消費材等)は時間と共に価値が減衰するから売り急がないといけないが、お金のオーナーはキャリーコストが一切かからず価値が減衰しない上、利子を取れる。チャンスの時だけ動いて、有利な機会がない時は寝て待つ事が出来る。交渉において後者の方が有利に決まっているだろう。」と。全くその通りである。


エンデ(モモの作者)やシルビオ・ゲゼル(ケインズのネタ元の経済学者兼ビジネスマン)の意見も、おおもとの所では反論しようがない。「マネーにキャリーコストを付与し、価値の保蔵機能を分離し、お金は純粋に交換機能と価値尺度の機能だけをするべきだ。つまり時と共に価値が減衰して行くお金を作る事で、貨幣の流通測度を上げられるし、お金のやり取りを元来の”信頼とコミュニケーションに基づいた健全なもの”にする事が出来る。」と言う発想は、技術的な面や実際の遂行時の問題等はあるにせよ、おおもとの所で正しいと思う。


ただ、中央銀行制度があり、上記のマネーの価値保蔵機能、投機機能、他人の支配機能により恩恵を受けている、政治力や経済力の盛んな方々が、地域通貨やバーター通貨を容認する事は中々難しい面があるのも確かである。法的に、中央銀行以外の主体が地域限定、用途限定等の別通貨を作ると言うのは、言ってみれば「虎の尾を踏む」行為であり、非常に微妙な所である(日本では違法、アメリカ等では一定の限定のもとで適法なようだ)。特に規模が大きくなると、1930年代のヨーロッパでそうであったように、色々理由を付けて弾圧されてしまうだろう。ただ、米国のイサカアワーの例などは、「イサカアワー流通により地域経済を活発にした結果の一部が、税収増加と言う形で国にも恩恵が及ぶ」と言った形にしており、中々面白い。


面白かったのが、ヘッジファンドの運用者だった人間が、上記のマネーの致命的欠陥を改善するような「減衰するお金」の開発・運営に貢献したりしている事である。シルビオ・ゲゼル自身も元々はビジネスマンで、マネーの特筆を巧みに利用してビジネスの方でも利益を上げて、それを元手に社会貢献活動や執筆活動をしている。筆者的にも、これは長い目ではぜひ取り組みたいテーマである。一方で、マネーの特質を突く「マネーと言う幻獣使い」として生計を立てて、一方で社会貢献活動。一見矛盾するかも知れないが、言ってみればハッカーだけがハッカーの手口を理解してハッキング防止が出来ると言うのと同じである。何か出来る事があるのかも知れないな、と読みながらふと思った。


多分、8割がたの金融マンは、「根源からお金を問う事」などはしていないように思う。マネーの本質が分かって居たら、例えばマネーのために魂売るような働き方(あるいはエンデの「モモ」のお話で言えば灰色の男達のような生き方)など普通はしないだろう。でも同業者の少なからずはマネーの(多少高給な)奴隷である。そう言う意味では、まず同業者の「目覚まし薬」としてこの本をお勧めしたい。

そして、元々作家のインタビューなので、例えば文学や芸術等に携わるような、非金融のかたにもぜひ読んで欲しいと思う。非常に分かり易く書いてあるし、マネーが世の中の構造にどのように作用しているのか、「お金とはそもそも何なのか」と言うディープな問いに対する答えが得られると思う。

蛇足だが筆者個人の話もしておこう。筆者も、お金から自由になった瞬間から、もの凄く気が楽になったし、人生に彩りが増したように思う。なので、「目覚まし薬」としてこの類いの本を上位で推奨している。お金から自由になると言うのは、一般に言うような「経済的自由が得られる」とか、「引退出来る程既に稼いだ」と言う意味ではない。精神的にお金に対する執着が無くなったと言う事である。

お金に対する執着がなくなるためには、マネーが人間の精神にどう言う作用をするか、人間の精神の弱い所をどのように突いて来るものなのか、そしてマネーに付け入られ得る自分自身の心の隙間がどこにどう言う形であるのか、と言う点について良く理解しておく必要があるのである。そう言う意味では、エンデの遺言、モモ、と言ったミヒャエルエンデ関連の著作は非常に優れている。また、自分自身を内観する事も非常に重要である。

幾ら稼いでいてもお金に対する欲望・恐怖から来る執着や、他人に対する不信が無くならない限りはお金から不自由である。同業者や株の調査先の経営者等でこう言う人達は沢山見て来たが、一様に「札束にモノ言わせて幸せなフリはしているが、実際は余り幸せそうではない」。もっとみもふたもなく言えば、「こう言う人の催すホームパーティだの船上クルージングだので寄って来る女(あるいは男も)にロクなのが居ない」。ぱっと見美人/好青年でも、損得ばかり考えて居るような人達ばかりで薄気味悪いし会話していてもつまらないのである。これが一番シンプルな「そのコミュニティの主催者や周辺の人達がお金から自由になっているか、やましいままか」のバロメーターである。とは言え勿論お金も持ってなくてお金に対する欲望・恐怖・執着が強い人も世の中沢山おり、これもまたミゼラブルなケースだ。一般の「成功本」「デキる人本」と言うのは、こう言った人達を煽って「皆さん、頑張って厚化粧で心の貧しい姉ちゃん(兄ちゃん)侍らせられる程度の成功者になりましょう」と煽っているだけで、上記の「お金から自由になるには、financial freedomだの引退出来る位蓄財するだのの以前に、精神的にお金に対する執着が無くなり、マネーの呪縛の外に出る必要がある」と言う指摘とそのための方法論が決定的に欠けている。

一方で収入は程々あるいは一般にはかなり少なくても、「マネーによる信用に頼らなくても友人・知人に対する、そして何よりも自分自身に対する自分の内から湧き出る信頼で生きていける」と肚に落ちて実感出来た時点でお金からは自由になれる。一般よりかなり少ない年収でも、上記の本質を捉えて大半の人より穏やかで充実した人生を過ごしている人達に、筆者のぷーの間に多く出会って来たように思う。こう言う人達から、「お金から自由になるのは、自分が”お金から自由だ”と思った瞬間に今直ぐなれる」と言う事を筆者は教わった。また、幸運にして相応の地位や金銭的余裕を持った状態で、かつマネーに対する執着がなく人生で何が大切か良く分かっている人物にもぷーの間に少なからず出会う事が出来、感じ入るものがあった。やはりマネーとは、心理的な作用をする概念なのである。ぷーの期間中に、こう言った事を色々な人達との出会いを通じて感じ取る事が出来たのは、筆者にとって一生の無形財産になったように思う。


・・・そして、お話の「モモ」の、時間泥棒とか灰色の男達と言うのは、やっぱり金利の事を指すのだと実感する筆者であった。

2010年10月19日火曜日

電子化された書籍が完成した。

357冊が、納期の適度な遅れは伴いつつも完了した。
検索も可能にしてあるし、Mobilityが大幅に向上した。素晴らしい。
当座の所はハードディスクと、別途契約してある仮想サーバに保管。

但し、evernoteにupするには1ファイル50MBまで、iPhoneで閲覧するには30MBまでのファイルでないと出来ない!うーんこれは困った。ページ数の多い物は、何分割かしないといけない羽目になる。iPadはこの手の制限はなく閲覧可能なのかな。。。iPad購入も考えさせられる所である。

しかもevernoteに書籍をupしてしまうと、10冊内外upしただけで1ヶ月分の使用リミットを使い切ってしまう。うーん、当分はevernoteに過去読んだ書籍を何から何まで突っ込んでデータベース化する、と言うアイデアは棚上げである。料理の本とか、金融用語辞典とか、辞書的意味合いの強い書籍に絞ったupdateが必要そうである。evernoteには、1ファイル当たりの容量の上限も、月間使用上限も、もう少し引き上げて欲しい所である。あるいは年間50ドルよりもう少し支払っても良いので、この使用上限を引き上げた「プレミアム」的なサービスを開始して欲しい所である。

いわゆる、昨今言われ始めている電子書籍の「自炊」をしている訳だが、それを利用する環境については、まだまだ発展途上の所もあるようである。しかしまあ、何事も実際にやってみると改善点も見えて来るし、面白いものである。普及と共に改善されて来るといいな、と思う秋の夕暮れであった。

2010年10月18日月曜日

2010年10月17日日曜日

本日の名言

なんでもいいの!そう、なんでもいいの。なんでもいいから、もっと私たちに話してってこと。私たちで役に立てることがあったら頼ってね、相談してねってこと。

リノア・ハーティリー(Final Fantasy VIII)

2010年10月16日土曜日

今日の名言

何かの決断を下したら、あとは悔いのないように力の限り行動するだけです。しかし、迷っている時はとことん迷いなさい。何ごとも中途半端が一番いけませんよ。

シド学園長(Final Fantasy VIII)

2010年10月13日水曜日

チリ落盤事故:救出!

映画にでも出来そうな話だなこれは。

恐怖と絶望に駆られて限られた食料を争って自滅したかも知れないような状況で生きて出られたのは、精神的な支柱になったリーダーを中心とした33人の精神力による所が非常に大きいと思う。最後の瞬間まで諦めない事、前向きである事の重要性を教えてくれたように思う。

33人も、大ピンチ転じて大ハッピーだろう。33人は一生モノの友情を得ただろう。生死の境目を一緒に乗り越えた一生モノの友人。これは何よりの資産になるだろう。

おまけ:信長の野望のBGM、パクり・オマージュ・パロディと芸術、科学、相場。

PC-98版の当時のまんまの音楽発見。余りの懐かしさに思わずupしてしまった。


8分40秒位〜で天魔鬼神 上(内政)、10分30秒位〜で天魔鬼神 下(戦闘)。
当時の音源としてはかなり音質が良かった。

うーんカッコ良い。
戦闘の音楽など、「天才か、狂人か」と言う紙一重っぽさが非常に良く出ている。今聴いても良い。

その後菅野よう子はCM、NHK特番等のTV音楽、アニメ音楽で有名になった。信長の野望以降、パクり、いや失礼、パロディあるいはオマージュが結構と言うか相当多いんだが、元ネタを当たってみるのもそれはそれで面白い。


言ってみればまあ、洋楽市場をアニメ、CM、TV音楽に持って来ると言う「市場間アービトラージ」をやっている訳で、結構批判もされてはいるが、相場屋の筆者的にはアリだ。アービトラージだって仕事だし、それなりのセンスも必要だ。音楽のチョイス自体はセンスいいし、音楽に詳しくなれる。沁みる曲も結構ある。

ただ、氏のインタビューで「他人の音楽は余り聴かない」「好きなアーティストも特段ない」等とあるようだが、これはいかんなとも思う。先人の引用、オマージュやパロディも好きですと認めた方が潔いし、先人へのリスペクトは持った方が良かろう。ファイナルファンタジーの音楽の植松伸夫氏等は、作中でオマージュやパロディ等で他の作品を引用する事もある点、この辺素直に認めている。筆者も、多分に尊敬する諸先輩のオマージュはやってますと言う事で、参考書籍をかなり丁寧に紹介してある。芸術も科学も相場も、スクラッチから全く新しいアイデアって言うのは、案外少ないもんです、ハイ。

2010年10月12日火曜日

織田信長から何が学べるか

前回では、筆者が子供の頃のヒーローだった織田信長の改善点ばかりをけちょんけちょんにしてしまったので、今回は掲題の件について。筆者にとって、色々問題点はあるにせよ、織田信長は子供の頃のヒーローだった。


・ちゃんと現場まで自分で降りている。

「うつけ者」時代に野山を駆け回る事で尾張の地理に誰よりも詳しくなり、庶民と一緒に祭りを楽しんだりする事で地元の心を自然と掴んで居る。長槍や鉄砲等も自分で使ってみて改良したり戦略に取り込んだりしている。戦の際も自身も戦って居る。変な旧来の慣習等に対する拘りもなく、考え方も柔軟である。

相場で言えば、肩書きがどんなに偉くなってもBloombergを自分で叩き、四季報を自分でもめくり、Excel操作等も自分でちゃんとやり、発注も出す、と言う事に相応する。この業界で、自分でこれを全くやらなくなって、俺はもう偉いんだから、と言った具合のシニアはその時点で終わりだと思う。非常に重要な事だ。


・常に訓練しており、生活も整っている。

武芸の鍛錬は日課だったようで、酒は殆ど飲まなかったようだ。さすがである。


・人材登用等が実力主義で積極的。

羽柴秀吉はじめ、家柄等を問わず、ストリートから優秀な人材を何人も引っ張っている。家格等が重視された時代なので、相当に異例な事だろう。大変にイノベーティブである。


・善し悪しあるが、最初から「天下布武」と言う理想、旗を立てている。

余り大儀に拘ると前回書いた通りで色々歪みも出るのだが、キチンと目標設定してそれをビジュアル化しているのは、偉いと思う。


・一方で現実主義で、関係者の利害や次に想起される事態等を読み解くのが非常に上手い。

信長が現代の金融マンになっていても、相当稼ぐ人間になっていたと思う。


・案外義理堅く、家族や女性を大切にしている。

信長の残虐なイメージが先行している面もある一方で、下克上の世界において珍しく、同盟等は自分から破る事は殆ど無かった。また、戦国時代においては珍しかっただろうが、妻や女性の役割を重視している。身にしみる話だ。


・何しろ運が良い。それを活かしている。

桶狭間の戦いももちろん然りである。また、「浅井氏はお市も居るから裏切らないだろう」と言う、信長のassumptionの一番脆弱かつ、この前提が崩れるとオセロの角を取られたような感じで情勢が一気に変わってしまう「criticalな所」を突かれて一度は窮地に陥ったものの、信長包囲網が出来て武田が攻めて来た矢先に武田信玄が病没して、上杉謙信もタイミング良く逝去し、と言う運の良さが抜群である。

こう言う強運を活かせるか否かはその人次第であり、信長自体に上記やそれ以外の努力があるから強運を呼び寄せている面があるだろう。学ぶ事しきりである。


・旧来の慣習に囚われずに時代の半歩先を行き、しかも現実に落とし込めるまで突き詰めている。

信長と言えば、月並みではあるがやはりここが一番凄いなーと思う。子供心にもここが一番尊敬していた点である。

例えば長槍による集団戦術、鉄砲に早くから目を付けて主力にして集団戦術を取る等。
皆槍は長い方が有利だと分かってはいたものの取り回しが悪い等の欠点もあったため多数の大名はこれを突き詰めてはいなかったようである。鉄砲も同様で注目はされていたが火縄銃のため発射までに時間がかかる、雨天時に使えない等の欠点があったためこれを主力にしようと言う者は多く無かった。
こう言うのをストイックに克服して、戦争のルール自体を、「我はxxなり、やあやあ一騎打ちぞ」と言う所から集団戦に変えてしまうと言うのは本当に凄い事である。

渡来人との付き合いも、大友宗麟のようなキリシタン大名ほど没入せず、「技術力や文化力の増大のため」と言う適度な距離感で現実主義で活発に行っている。渡来人に地球儀を見せられて、地球が丸いと言われて、サッと理解する感性があったそうである。視野が広い。

楽市楽座は、現在で言えば法人税率引き下げや外資系企業の日本誘致促進策等に相応するだろうか。当時は年貢が重要視されており、こう言った商業促進策による国家の収入増大を本格的に志向していた大名は(六角氏等の例はあるようだが)少なかったようである。これは今で言えば、製造業にしがみついていて沈没気味の日本経済に対する示唆も非常に多いのではないだろうか。

製造業(上記の例で言えば年貢)も勿論大切ではあるのだが、一刻も早く法人税率引き下げや外資系企業の日本誘致促進策と言った、現代版楽市楽座を取った方がいい。税率を下げた方が商業が活発化し、人モノカネも集まり、結果として税収が増えると言うのも、経済産業省すらその旨白書で出して居るし、1500年代に気づいていた大名が居るのである。正に温故知新である。

筆者的には、法人税率引き下げから一歩踏み込んで、日本をタックスヘイブン国あるいはそれに近い税制優遇国にして、金証法を緩和して運用会社が運営し易い体制にして、スイスやシンガポールのようにプライベートバンクの拠点にした方が良いとさえ思う。

経済規模で抜かれる小国が、少ない防衛予算で独立国家として一定の地位を維持するには、世界中の金持ちの資産を(言葉は悪いが)人質にしてしまうのが一番良かろう。中国人の資産を日本のプライベートバンクに預けて運用する等については、積極的に促進した方がいい。中国人のカネ持ちだって、中国国内に資産を置いていたらいつ共産党に接収されるか分からないと思っていて信用して居ないのだ。こう言うのは利用して然るべきだろう。つまり、税金面での優遇や法律面でのバックアップなど、富裕層の中国人にとって日本での資産運用がソブリンリスクの低い有効な選択肢になるようにするべきだろう。国内の森林や水源などを中国人にしこたま買われて呑気にしている場合ではない。日本側から積極的に交通整理、つまり外人に地下の水源の所有権は認めないとか、外人が山のオーナーになっても森林資源の活用には規制がありますとかの国益維持のルール変更をする所はして、一方で日本で中国人が銀行口座や投信等の口座を持つ事に対しては大いに優遇する等して、中国マネーを取り入れるべきである。

スイスをなぜ誰も攻撃しないしスイスフランが「リスク回避通貨」なのかと言えば、非常に議論を単純化すればイスラムの金持ちもキリスト教圏の金持ちも皆スイスに資産を預けて居るからである。アメリカの息がかかっていながらも「何となく中立ぽく良い人風で、ニコニコしていて敵を作らない」と言う日本人の位置づけも、こう言った拠点になる上では有利な地の利だとも思う。素地はあるだろう。

日本の政治家にはこう言う発想が出来る人が現状余り居ないように思われるが、筆者ももう少しシニアになったら(あるいは無名ではなく資産運用業界のプロフェッショナルとして一定の発言力を持つに至った場合には)、こう言う働きかけを後ろからやって微力でも業界を盛り上げる事に貢献したいものだし、貢献しないといけないのだろうなとも感じている(基本的に政治活動は苦手で好きでもないし、表からやるのは筆者の性には合わないので、後ろからだが)。

世界中の金持ちが日本のプライベートバンクに資産を預けて、たまに旅行に来て、日本の四季やクオリティの高い観光サービスをエンジョイし、パリよりもミシュランの星付きレストランの多い東京グルメをエンジョイし、スイスの精密時計よろしく日本の製造業の高付加価値品を嗜む(日本の製造業は完全に高付加価値分野へニッチ特化していく以外道はなかろうと言う事でもある)。ジャパニーズhot springを楽しみ、日本酒や国産の安全な農作物等をラグジュアリ品として楽しむ(勿論観光客価格とローカル価格は二重プライスで良く、日本人自体は日本の素晴らしい四季や食生活を安価に楽しめるようであるべきと思う)。アニメ等の娯楽も大人が見ても奥深くて面白い。発展発展、成長成長でお疲れの韓国人や中国人も日本に来ると癒される。

こう言う、「ニコニコマイルド、ロハスで癒し系ジャパニーズ」と言うコンテンツを、テーブルの上では草食系的にニコニコしながら、テーブルの下ではアグレッシブな態度でもって世界に売り込むべきであろう。言ってみれば、これこそが「日本の製造業依存からの脱却」「日本の高付加価値サービス産業化」でもある。

(注:従って、筆者は、一部の人が言うような、「昨今の日本人の若者は草食系とか言ってるようでダメだ、高度経済成長の頃を思い出してガツガツやらんといかん」と言った論調には反対である。どうしたって日本は成熟国入りしたのだから、高度経済成長期のマインドに戻れと言うのは無理だと思うし、時流を弁えていない考え方と思う。かといって草食系極まって無気力であっても確かに問題である。旧来の肉食系でも草食系でもない、言ってみれば「禅の境地系」とでも言えば良いだろうか、成熟国には成熟国としての、喩えて言えばイチロー選手の内野安打や盗塁のような渋さと味わいのある「第三の」生き残る道なりマインドの持ちようがあるだろうと思う。しまったな、だんだん言ってる事が意味不明になった来たな・爆)。

世界に経済規模ではどんどん新興国に抜かれて行く訳で、日本の今後の生きる道はこれだろうと個人的には考えている。そして日本がスイス、シンガポール、日本と並ぶ位のプライベートバンク大国、資産運用大国になってくれて、資産運用業も栄えてくれて筆者もめでたしめでたし!と言う事に、ぜひなって欲しいなぁ(笑)。希望的観測をベースに将来を考える訳には行かないんだけれども、何せ筆者も基本線金融に戻る訳であり、基本線金融マンなので、このままだらだらと、日本人金融マンの地位がグローバル経済の中で没落されては困る面がある。筆者自身も、このハッピーな日本の将来が現実になるよう微力でも貢献して、「癒し系資産運用大国としての日本構想」の末席を担えるべく、まずはパンアジアからの視点で投資やトレードが上手に出来るような人材にこの数年でなりたいものである。

話が随分脇にそれてしまったが、こう言う事を考えさせるきっかけになる面でも、織田信長の慧眼には素晴らしいものがあるように思う。

2010年10月11日月曜日

織田信長が本能寺の変を避けるにはどうすれば良かったか?

先日書いた雑談で、題名の事について少し書いたので、思う所を書いてみたいと思う。
端的には、大まかに3点あろう。


1:大義も大切だが、もっと「やってて気分的に楽しい」を重視するべきだった。

山岡荘八の小説は小説であり、史実と違う所も多い事は一応理解した上で書いているが、それでもやはり、信長の人生で一番「ああ、日々が楽しかったんだろうなあ」と言うのは、若い頃のうつけ者〜桶狭間の戦いでの勝利までの頃が一番そうであり、強いて言うなら上洛まで位である。

天下布武の大義が先(1567年から、「天下布武」の朱印を使用するようになった)になるようになってからの信長の人生は、小説の脚色は除いて史実だけみても、どうにもしんどそうである。元々尾張の野山を駆けずり回っていた田舎者にも関わらず公家やら将軍様やら向けの対策が必要になり、当時武力もあり信長に対抗する形で政治にも関与し始めて居たのを封じるため(言ってみれば政教分離のため)とは言え延暦寺や長島一向一揆を焼き討ちにして非戦闘員の女子供まで殺したりする辺りから、人生の有り様がやや不自然になって来ているように思う。

戦国の世なのでそこまでしないと信長包囲網(浅井、朝倉、毛利、本願寺、武田等等)にやられてしまっていたのかも知れない。そう言う意味では、仕方無い面もあるのかも知れない。

しかし、「それをやってて楽しいか」と言う事を重視していれば、天下統一も出来なかったかも知れないが本能寺の変も無かったのではなかろうかと思われる。大義のためならプロセスは何をしても良い、と言うものではないのである。


2:才気も大切だが、責のある人間に対して逃げ道が全く無くなるまで理詰めで追いつめてはいけない。多少の逃げ道も作っておいてやるのも人間力だし、人前で恥をかかせないように配慮するのも思いやりである。

信長自身がもの凄く優秀で、自身で政治、経済対策、武術、戦争上の戦略策定、果ては鉄砲や長槍とそれらを用いた新しい戦術等の研究開発まで何でもやれる、言ってみれば「完全無欠のプレーヤー」なのは素晴らしい事である。

一方で、それが仇になっている面もあるように思われる。本人が優秀であり過ぎるが故に、凡人の部下がやるミスに対して容赦なく追い詰め過ぎの部分は否めないように思われるのである。理詰めで相手の逃げ道が全く無くなるまで責任を追及し過ぎたり、人前で怒鳴る・叱るなど恥をかかせると、相手を大いに傷つける事にもなるし恨みを買う事にもなる。

親類のお市の方への感情等で浅井氏に手ぬるい事をして裏切られた、等のエピソードがトラウマになってその後の対応が容赦なくなったのかも知れない。また、下克上が当たり前の戦国時代なので、余り甘くては規律が乱れてしまうし返り討ちの遭うリスクが少なからずあるので仕方無い面もあったのかも知れない。自身が優秀過ぎたのでまごまごする部下がイライラすると言う面もあったのかも知れない。とは言え、信長の対人面でのある種の厳しさ、容赦なさが問題となり、仇となった面は否めないだろう。

例えば、上述した叡山焼き討ちや長島一向一揆等についても、寺を焼き討ちにする事自体は当時の政情を考えるとやむを得ない面もあったにせよ、非戦闘員の女子供位は可能な範囲でも良いので助けるとか、「多少の逃げ道」は用意しておく方が、世論や部下の反応等を考えても得策であったように思う。特定の大将が女装して逃げて返り討ちに遭うと言ったリスクがある場合は別だが、見せしめにすれば所与の政教分離が達成出来えたのではないかと言う所で言えば、当時では寺を焼き討ちにしただけで十分なインパクトはあったはずで、非戦闘員まで皆殺しにまでする必要性があったのかと言うと疑問を感じる。


3:「謎掛けやほのめかし」で相手を試すような事をするものではない。オープンマインドに、明瞭に人と接するべきである。

小説は多分に脚色であり、信長と配下の実際の会話の模様を聞いていた訳では無いので史実としての信長がどうだったかと言うのは完全には把握出来ない。

しかし、あくまで小説内の描写や一般に伝えられている信長の様子の範疇で行くと、信長は部下に対して「謎掛けやほのめかしで相手を試す」と言う事をやり過ぎである。これは相手を蔑み、かつ相手の自尊心を奪う行為であり、フェアではない。恨みも買い易い行為である。

確かに、「謎掛けやほのめかしを多用する」と言うのは、相手を支配する手段としては優れている。

余り多くを語らず、明瞭な説明をせず、勿体ぶって謎掛けやほのめかしを多用する。時には複数の部下に同様な形で勿体ぶった曖昧模糊とした指示内容で同じ仕事を別々に指示して、部下同士自体は連絡を取らせないようにして疑心暗鬼に陥れた上で部下同士を競わせたりする。

それでもって、「謎掛けやほのめかし」の1に対して10の答えを持って来たら褒めてつかわして褒美や高い年収をやり、1に対して1や2位しか返って来ない人間を叱責する。

そして、この賞罰や叱責の仕方などがやけに一見ロジカルで筋が通っているように見えるので、叱責される側は「何か違うんじゃないか」と感じはするものの反論が出来ない。上記の、「責のある人間に対しても逃げ道が全く無くなるまで理詰めで追いつめてはいけない。多少の逃げ道も作っておいてやるのも人間力だし、人前で恥をかかせないように配慮するのも思いやりである。」と言う指摘の正に逆を行くような、「逃げ道が無くなるまで理詰めで追い詰め」「しかも恥をかかせようとする」と言った事をやるのである。

カネで釣る事もある。「俺様の方が金持ち/高給取りじゃないか、地位が上じゃないか、成功者じゃないか」と言ったロジックである。全く実態のないマネーをこう言う用途に使われると屈してしまう人も多い。実際にはマネーとは中央銀行の生み出した概念上の数字でしかなく、これが多いから偉い(成功者)とか少ないから悪い(落伍者)と言う事もないのだが、気をつけていないと「相手の方が成功者なんだから相手が正しくて、平凡な自分の方が間違っているんじゃないか」と言った気分にさせられやすいと言う事である。

読者の会社のお偉いや上司などで、こう言ったはた迷惑な人物が時々いるのではないだろうか。あるいは、非常に迷惑な話だが、男女関係でもこう言う「駆け引き」で有利に立とうとする異性(筆者からすると女性、女性読者からすると男性)も居るように思う。

これは非常に有効な「相手をアンフェアに支配する手段」では一応ある。

何がアンフェアなのかと言うと、つまり、元来説明責任は仕事を指示するトップの方にあるからである。

仕事の指示は明瞭に誤解の無いように、指示の内容とその背景や狙いを説明して然るべきであり、部下が理解出来ない言語で説明している時点でトップの方がコミュニケーション能力が欠けている訳で、トップが悪い。これが元来の責任の所在である。

ところがどっこい、「トップによる謎掛けやほのめかしの多用」をすると、この説明責任が部下の方に知らないうちに転嫁される。つまり、説明が意味不明で不明瞭な上司が悪いのではなく、見識のある上司様の有り難きお言葉を理解出来ない下々が悪い、と言う具合に転嫁されるのである。これは結果として、部下に対して、常にトップ、上司の一挙手一投足、ちょっとした発言にまで気遣いをさせる事を暗黙のうちに強要する事になる。相手の尊厳、相手の自由な領域を浸食していると言っても良い。

その結果、部下/下々の側は常にトップ/上司に「気の回らない奴だ、頭の回転の鈍い頭の悪い奴だ」と言って叱責される事を恐れて上のご機嫌を伺わなくてはいけなくなり、部下の自由と尊厳は奪われる。

しかも迷惑な事に、これの前提は、「トップが腹の中で考えて居る事は常に高邁で正しく、下々は原則としてトップ未満の見識なので、トップの腹の中を以心伝心で理解出来るように精進しなくてはならない」と言う、はなはだアンフェアで迷惑なものである。下々に対して、常に「自分が悪いのだ」と言う卑屈な態度を強いる事になるからである。

詰まる所、「謎掛けやほのめかしの多用」は、一種の恐怖支配のツールなのである。

小説内での信長はこれを多用していて気色悪い面が否めない。筆者が過去働いて居た会社でも、こう言う事を平気でやっていたお偉いが居た。

こう言う支配の仕方は、ある程度までは上手く行くかも知れないが、部下にストレスや不満を蓄積させる事になる。部下からしたら当たり前である。元来上役の責任である説明責任を転嫁され、しかも自分は常に上役より見識が無いのだとと言う極めて卑下的な前提を甘受する事を強いられるのであるから、ストレスや不満が溜まるのである。人間、自尊心、self esteemを浸食されるのは嫌なものだ。

そして、その不満が爆発すると、信長の場合は本能寺の変のような決定的な謀反になるのである。

筆者が以前働いて居た会社でも、こう言う「支配/被支配」をやった結果、退職者が続出したり、筆者が去って行った後業績も左前になって行ったと言う例は少なからずある。別に筆者が屋台骨を支えていた大人物だと言いたいのではない。筆者は無名である。ただ、生真面目な無名の現場の人間が出て行かないといけない、あるいは堪え難いので出て行きたくなるような「支配/被支配マネジメント」をやっているようなチームは長続きしない事が多いと言う事である。

そんな訳で、下克上が当たり前の戦国の世でオープンマインドは難しかったのかも知れないが、信長ももうちょっとオープンマインドで、部下の尊厳も大切にした形で部下に接するべきであったのではないかと思う。ほのめかしや謎掛けを多用すると言うのは、よろしい支配の手段とは言えない。

蛇足までに追加すると、信長はまあ下克上の乱世の戦国の人だったので仕方ないかも知れないが、筆者が過去属していた上記の現代の会社のお偉い等については尚更である。今は戦国の世でも何でもない。上記のような、「種明かしをばらしてしまうと大した事はない、キショい支配/被支配の構造」を作る事で、元々卑小な自分自身を大きく見せて、お山の大将面して部下をコントロールしたいのは分かるが、この手の謀略は筆者のような無名の兵卒からも「謀略のロジックも、もろバレ」であるし、「本当は自分に自信がないからそうやって恐怖で支配したいのも、もろバレ」である。本人にそう言ってあげた方が良いのかも知れない。この手の迷惑な人達と関わると良い事はないので、それを彼ら/彼女らに直接伝える事は無いけれども。

ちなみに、筆者の昨今のポリシーとしては、上記3点について自らもこれを大切にするようにすると共に、「上記のようなアンフェアな駆け引きの片鱗が感じられたら、仕事においてはどんなに地位が高い人間でも、私生活においてはどんなに美人とかセクシーな異性でも、即刻関わるのを止める」である。また、資本主義Matrixの所でも関連する事を書いたが、「コンプレックスをバネに戦っているような人間は、得てしてコンプレックスを埋めるために他人をこの手の被支配に置こうとするので、この手の片鱗を感じた場合も直ぐ避ける」である。言ってみれば、ちゃんとself esteemを確立していて他人を被支配に置く必要もなく、オープンマインドで、相手の尊厳、相手の領域をキチンと大切に出来るフェアな人と接する事を大切にしている。

これで人をえり好みしてしまうから職を得るのが中々難しい面もあるのは自覚しているが、上記のようなアンフェアな人、迷惑な人、駆け引きを弄する人と関わるのは、筆者はもう卒業である。人生80年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり、、、なのであるから、夢幻のような限られた人生、オープンマインドで快く毎日挨拶出来る人と仕事もしたいし、私生活も共にしたいものである。

2010年10月10日日曜日

山岡荘八歴史文庫 織田信長 全5巻

・・・読み終えた・・・読み物として非常に面白かった。


天空の城ラピュタと並んで、原点に立ち返る事が出来たように思う。子供の頃、織田信長が大好きで、3635コーエーテクモホールディングスの信長の野望を、年齢がバレてしまいそうだがwindows95が出る遥か前、当時国内PCのデファクトだったNECのPC98(うはー懐かしい!)でもってやったりしたものだ。菅野よう子の作曲した音楽、特に信長の政治の音楽と戦闘の音楽、これに特にハマったものだ。

(50秒位〜 信長の内政テーマ、3分35秒位〜 信長の戦闘テーマ)

後は、やはり敦盛のこの一節。子供心に非常に深く影響しているように思う。

人生五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬものの あるべきか

・・・人生など、宇宙の運行を考えれば儚いものだ。この世に生まれた者であの世に行かないものなどあるだろうか。いーやない、だから人生を思い切り良く充実して生き切ろうぜ。まあそう言う感じだ。この手の「無常観」には、子供の頃から結構影響されているように思う。

後はこう、やはり子供の頃から、世俗の裏をかいたり、社会の情勢を見て先を行ったり、と言うのを考えるのは憧れていたし好きだったのだな、それが今までのキャリア選択にもかなり影響しているのだな、と言う事も実感した。

天空の城ラピュタを観た時も実感したが、進路選択も、元を辿ると結構単純な憧れから来ているものなのだなーと実感する。こう言う初心に立ち返る事は非常に重要だし、特に人生の岐路にある時は、初心に立ち返った意思決定をしたいものだ。平素全5巻の小説など読む時間は全くなかったので、その時間がある事を大いに感謝した。

一方で、織田信長は、トレーダーで言えばジェシー・リバモアに近い位置づけが筆者の中で為されているなーとも思った。ジェシー・リバモアを見て「どうしたらピストル自殺で最期を迎えずに済んだか」を考えると示唆深いのと同様、織田信長を見て「どうしたら本能寺の変にならないで済んだか」を考えると、非常に示唆深いものがある。


さて信長から話はちょっとそれるが、今回ぷーになって、周囲の人のアドバイスは大きく二つに分かれたように思う。

1:プーの期間が長いとキャリアにもマイナスだ。何でも良いから早く仕事を探した方がいい。

2:たまには働かない期間があるのも良い。人生長い事もあるし、人生の節目にもあるように見受けられる事も考えれば、むしろ焦らない方がいい。世界旅行にでも出て来たらどうか。

どちらも自身の事を気遣って言ってくれているので有り難く思っている。

1については同業者が多かった。しかしこれについては、アドバイスは有り難かったが、やや表面的な助言のようにも思われたので却下した。「キャリアの損得云々の以前に、一回立ち止まって人生の棚卸しをきちんとやって、今後の生き方をゼロベースで考え直す時期だ」と判断した。

2のアドバイスをするのは年配のかたか、非金融、非会社員の人達が多かった。より人生の琴線に触れているように思ったし、中々に有り難いアドバイスだと思った。しかし、筆者的に、世界旅行をしようと言う気分では何となくなかった。広い世界を見るのも悪くはないが、正面から見つめるもの、取り組むものが他にあるような気がした。

結果として筆者は、以下の選択肢を取った。

3:たまには働かない期間があるのも良い。人生長い事もあるし、人生の節目にもあるように見受けられる事も考えれば、むしろ焦らない方がいい(ここまではアドバイス2と同じ)。海沿いの素晴らしい環境で少し休みながら、今まで接さなかった人等も含めて色々な人と会ってみたりもしつつ、自分自身の過去の歴史と、自分自身の内面の世界一周旅行をして、今後どうしたいのか、どうありたいのかを感じ取ろう。

・・・そんな訳で、昔からやりたいと思って居た「海べりセミリタイヤ暮らし」をする事になった。元来は一生働かなくて良い位稼ぎ切ってからやろうと思っていて、今回のように離婚なぞしてキャリアも途中でブツ切りになる形でこう言う暮らしをするとは思って居なかったのだが、まあ意外な形で夢は実現した。仕事も、最後の方は初心が見えなくなってしまっており嫌になって来て居たのも事実であり、そう言う意味では絶妙のタイミングで人生の休暇を取る事になったようにも思う。人生不思議なものだ。物理的にノート等を電子化して整理出来たのも勿論の事、子供の頃に好きだったアニメを見て、学生時代好きだった映画を見返して、自身の原点を見つめ直して、やはり金融や相場は好きなんだなと言う事も確認し、と言った事を素晴らしい環境の中でやれた。食生活の改善、料理や運動をちゃんとやる習慣等をしっかり整えて行く事も出来た。自然に、「海べりセミリタイヤ暮らし」も良いけれども、アーリーリタイヤを志向する以外に自身にはやりたい事もあるんだなと言う事にも気づいた。案外人間働きたい生き物だし、他人に貢献していると言う実感が欲しいものなのである。

そして、話をようやっともとの織田信長に戻すと、子供の頃に影響を大いに受けた「織田信長」についての小説全5巻を読破して、子供の頃織田信長のどこに惹かれたのか、どこは違うと思ったのか等について思いを馳せつつも上記のような事に思い至るなど出来た事で、何だか自身の内面世界旅行も一段落付いたのかな、とふと思った。中々に有意義だったように思う。

そろそろ起つ時かな、、、等と言うと格好良いが、要するにそろそろ働かんとな、働かざるもの食うべからずだ(爆)、、、等と思う、読書の秋の夕暮れの最近の筆者であった。

2010年10月5日火曜日

ゼロ金利復活

商社、DOWA、別紙等のコモディティ関連株、ゴールド、過剰流動性の流れる先としてのREITあるいは不動産株、こう言う所が買いでござるな、輸出関連も買い戻しでござるぞ・・・ロングショートやるにしても、ロングバイアスでござろう・・・それにしても白川殿、ETFにREITまで日銀の購入対象、日銀券ルールを超えた国債購入も視野とは、ついに肚をくくりましたな・・・しまった、小説の「織田信長」を読んでいるせいで、言葉遣いが珍妙であるぞ。

2010年10月3日日曜日

500本ノック終了

やっと過去銘柄を全て見て行ってタグ付けする作業が終わった、、、何かもう、この1ヶ月か1ヶ月半位か、過去に大量にstoreした情報の整理ばかりしているような気がする。しかしこれで手間な作業は一段落。昔から「こう言う形で管理がしたかった」と言ったほぼ理想の形を作る事がようやっと出来たように思う。結構使える武器になりそうだ。あー、たまにはビールでも飲もうっと。。。

2010年10月1日金曜日

9684スクエニ:やっちまったようだ。

Amazonのファイナルファンタジー14のレビューが酷い。筆者はさすがに幾らぷーでもネットゲームが出来る程の時間はない(職探しもしないといかんし)のでやっていないのだが、Amazonのレビュー内容は、個別で見れば偏ったものもあるにせよ、全体で見れば概ね妥当感がある事が多い。本当に酷いのだろう。FF13より酷い、そもそもゲームとして基本的なシステムがワークする状態に無いとの事。オフショア開発でコストダウンを試みはしたが、クオリティコントロールがまるで無いまま決算対応でリリースしてしまった、と言った所のようである。

今般発売したWindows版を来年発売のPS3版のベータ版位に考えて、ユーザにバグチェックをして貰おうと言う事なのだろうが、短期的な決算対応でビッグタイトルでこれをやってしまうのは危険だろう。ブランド価値の毀損のリスクがある。

既にFF13の時点で、「グラフィックだけはもの凄く壮麗だが、中身が付いて来ていない」と言う感じはあった。結局、9年前に発売したFF10を超えられる作品が出て来て居ないように思う。スクエニからFFのブランドが剥落したら、正直かなり辛いだろう。

余りベータの高い株ではないので、ちょっと多めに売らないとポートフォリオに効かないかも知れないが、これはショートだと思う。やはり、ソーシャルゲームだとか、iPhoneや携帯アプリでちょっとしたゲームをやる時代なんだと思う。